釈迦坊主のプロフィール【HIPHOP】【ラッパー】【ラップ】【歌舞伎町】

HIPHOP

唯一無二の雰囲気に、メッセージ性の強いリリックで10代から20代に絶大な人気を持つ釈迦坊主について簡単にまとめてみました。


釈迦坊主の生い立ち

本名 中村 龍之介 1992年 身長178cm 和歌山県御坊市出身




小学4年生の時母親と父親が別居することになり、母親と東京へ引っ越し。母親は水商売をして生計を立てていて、夜は家で1人になる事が多くゲームをして幼少期を過ごします。しかし、彼は寂しいと思う事はなくむしろラッキーと思っていたそうです、みんなは1日に1時間しかゲームができないのに俺はめっちゃできると、ポジティブに考えていたそうです。その後中学生になり、当時ギャル男と言われるファッションを好み、クラスでも目立つ存在だったが、自分の中で外交的な自分と内向的な自分がぶつかっていて、ビジュアル系バントの「Dir en Grey」と言うアーティストが好きなのを「メンヘラだと思われるから…」と隠していたり、選択科目で仲のいいグループから1人外れて美術を選び、黙々と気持ちの悪い絵を描いていたそうです。その時の事を釈迦坊主は「その時間が1番素の自分だったのかもしれない」と語っていました。そしてその頃「BUMP OF CHICKEN」に憧れてギターを購入して弾き語りをはじめ、オリジナルのビジュアル系やヘビーメタル系のコピーバンドも結成、ギターやボーカルをして音楽活動を始めます。




歌舞伎町の闇

しかし、その後一回音楽をやめて高校生になりますがすぐに中退し、女にモテるためにどうするかだけを考えていたと言う彼は、16歳で歌舞伎町でホストをやる事に決めます。煌びやかな豪華なホストの世界を夢見て始めた釈迦坊主ですが、そこに広がっていたのは深い闇でした…。法律上18歳未満は働く事ができないが、オーダーグランドは無法地帯、ホストとしての出勤初日に母親に借りたCHANELのベルトをしていくが、酔っ払って店に忘れていたところ無くなっていたり、女性から金を得る為ひたすら酒を飲みまくったホストたちは、溜まったストレスを1番若い釈迦坊主を吐口として閉店後に決まって殴られたりの暴力を受けていたそうです。そんな事をきっかけに人の事を信じないと言う気持ちが芽生え、ギラギラとした性格に変わります。そしてホスト業界に入り1年がたった17歳の頃、働いていたスタッフの9割がドラッグをしていて、ダイエットの為にドラッグをする人までいる異常な環境の中、流されやすい釈迦坊主もドラッグに手を出し始めてしまいます。派手な仕事に加え、暴力やドラッグの影響で休日は家にこもって自然と子供の頃にやっていたゲームに没頭します。そんな中2011年に3.11の東日本大震災が起きます。M9の地震の際、釈迦坊主は自宅のベットでホストクラブの客と寝ていて、揺れた瞬間「こんなやつと一緒に死にたくねぇ」と自分だけ外に飛び出して逃げたそうです。そして地震の影響で歌舞伎町の営業もやり辛くなり、大阪のみなみに移動になります。そこのみなみのホストが接客で3.11をネタに「メルトダウン」みたいなギャグをやっているのを見た時、「こいつら心あるのかな?」と思うと同時にその醜い姿は自分の姿でもあると感じたそうです。その頃みなみに移った後もドラッグを続けていた彼は、オーバードーズを起こし救急車で病院に運ばれてしまいます。そして病院に駆けつけた親の顔を見てから自らを見つめ直し、ドラッグを断ち切る事になります。


HIPHOPを始まるきっかけ

そして震災から1ヶ月後19歳で3年続けたホストを辞めて、自分自身の醜い姿を見つめ直し家に引きこもる事になり、自作でトラックを作成するようになります。「ラップだったら出来るな」思って、やりやすさと効率の良さでラップを始めます。もともと音楽を作るのが好きだった彼は、合コン相手から教えてもらったニコニコ動画で曲を発表。海外のギャングスターラップも好きだけど、あの怖さに憧れて日本人が作っても無理があると考えた釈迦坊主は、漫画やゲーム、ホラーやロックなど自分の好きなカルチャー、自分自身が見た歌舞伎町の闇を表現。オリジナルなスタイルにたちまち注目が集まりますが、ネットラップの現場にも対局にあるストリートの現場にも馴染めなかったそうです。「自分はオタク気質だけどクラブでアニソンとかかかっても面白くないし、ましてや日本語ラップの人間の上下関係にはうんざり、それが嫌でホストを辞めたのに同じじゃん。」と感じそこで始めたのが釈迦坊主がオーガナイズするパーティー「TOKIO SHAMAN」1stアルバム「HEISEI」はiTunesでダウンロード1位を記録し続くEP「NAGOMI」のリリースで人気は決定的になり、全国各地で超満員を迎えて主催イベントを開催さ、各方面から熱狂的な人気を呼び続けています。




影響を受けたラッパー

HIPHOPがルーツでは無い釈迦坊主は最初に影響を受けたのは「志人」HIPHOPの音楽の自由度を感じて、そこから海外の曲も聴くようになったそうです。そこからラップのリズムの感覚を掴むきっかけになったのは「A$AP Rocky」こんなにズレのない正確なリズムがあるんだと感銘を受けたそうです。


今後の活動について

今後について彼は、ブラックホールみたいな釈迦坊主っぽい曲は作りたくない自分が飽きるし、パッケージ化したく無いしもっと多面化でいたい。求めらると求められた事はやりたくないけど、自分は俯瞰的。一心境になると自分の考え以外は悪になるので、「誰の方がすごい」「こいつの方がイケてる」とかが無い世界に生きたいと語っていました。




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