YZERRのプロフィール【BADHOP】【ラップ】【ラッパー】【HIPHOP】

HIPHOP

BAD HOPの裏のBOSS、高いRAPスキルとビジネスセンスでBAD HOPをスターに押し上げた立役者でもあるYZERRについて今回は簡単にまとめてみたした。


YZERRの生い立ち

本名 岩瀬雄哉 1995年神奈川県川崎市池上町日本一空気が悪い場所とも言われる工業地帯に4人兄弟として生まれました。美人の姉とアパレル系に携わる兄MASA(LAST NEST)、T-Pablowの4人で母子家庭で育ちます。





父親は事業に失敗し、昼から酒を飲みギャンブルも好きだったため、多額の借金を抱えて離婚。ヤクザの取り立て薬物依存は当たり前、母親も一家心中をはかろうとした事もあるほど壮絶な家庭環境の中で、家族揃って食卓を囲んだ事はないと言うYZERR。保育園の頃に兄t-Pablow、Tiji jojo、Barkの4人でゴキブリギャングスタアを結成、他の園児が作った積み木を破壊したり女子のパンツをずらしたりなどの悪行をはたはいていたそうです。経済的にもみんなの当たり前が当たり前ではなく、小さい頃から与えられる事がほとんどなかった彼は、ガムテープを丸めてサッカーボールを作ったり、自分達で工夫しながら欲しいものを手に入れていた事も。全員相当な不良だった男3人兄弟の中でも、1番悪かったYZERRは小学校2年生の頃にはすでに喧嘩三昧、校内抗争では飽きたらず他校に乗り込み、番長を順番に潰して行ったりタバコを吸いデパートに物を盗みに行ったりと小学生にして漫画を超える悪事を繰り返します。ちなにこの他校との喧嘩でYellow Pato、Gkidと出逢います。周りの同い年の友達も同じで、金髪にスカジャンを着ていたり将来の夢と言う項目にヤクザと書いたり、そのような人間は当たり前のようにゴロゴロいたようで小学校2年生の頃には悪い事だと言う事は分からなかったようです。ちなみに兄T-Pablowと小学生の頃からサッカーチームに入ります。リバトークでよくサッカーの話題が出たりと、BADHOPメンバーはサッカー経験者が多いです。




HIPHOPに出会う

そんなYZERRは小学校4年生でHIPHOPと出逢います。最初に聞いたのはZEEBRA地元にTSUTAYAができてお母さんとYZERRとで行った時に、ZEEBRAのライブDVDのジャケットを見て「この人日本人じゃないよね?」と聞き髪を編み込んでいるZEEBRAに「超かっけぇ」と興味を持ち始めます。それから名古屋や横浜のウェッサイにハマり、逆にこの頃は海外のHIPHOP聴いてるやつはダサいくらいに思っていたようですが、2個上の兄が色々聴かせてくれて次第にアトランタやSouthの HIPHOPにも影響を受けます。中でもT.Iは若くてカッコよくてスタイリッシュな感じが良いなと思っていたそうです。そして小学生で悪行三昧だった彼は、中学に入り更にエスカレート。短ランにボンタンを履き、中学時代はT-Pablow と共にギャング団を率いて、岩瀬兄弟として地元でも有名な悪に、学校では廊下で普通にタバコを吸っていたり、彼ら専用の教室があったり、監視役の先生にプロレス技をかけたことから被害届を出された事も、さらには小学生から入っていたサッカーチームは兄のT-Pablow が先輩に強めの指示をしていたため恐怖感を与えてしまい、生徒の親から辞めさせて欲しいとの要望があり、顧問からクビを宣告。しがらみも生まれ地元の先輩は上納金と言ってお金を要求してくるようになり、彼らはお金を盗む事しか用意が出来なかったそうです。


人生を変える出来事

そんなある日警察が岩瀬兄弟のギャング団を捜査する専用のチームを作り、一斉に捜査が行われた事により窃盗をしていた25人が逮捕され、全国的なニュースになる事件になります。鑑別所に行った数十人ですが少年院に行く際、同じ少年院には3人ほどしか行けなかったため、リーダー的な存在だったYZERRが選ばれ少年院に行きます。1年半ほど14歳のYZERRは少年院に入所する事になりますが、1つの少年院だけでは終わらず酒鬼薔薇が入るほどの関東医療少年院と言う精神疾患がある未成年が入るところにも入所します。結果的にその医療少年院の中の日々が彼を変えていきます。これまで生まれ育った環境がいかに特殊だったかを少年院のカウンセラーから告げられ、自分が生まれ育った環境の特殊性に初めて気がつきます。そして関東の医療少年院で何もする事が無く、年間200冊ほど本を読んだYZERR。その中で得た大切な人生の指針を約30枚のメモに書き写し、今も大事にしているそうです。また医療少年院に収容される程の罪を犯してしまったものの、最後の歯止めをかけてくれ、育ててくれたのは祖母祖父だったそうです。その2人の思いは特別な物で、のちに腕にも2人の顔のタトゥーを入れていました。のちに今ではいけないことだと分かるが、「当時は人のお金や物を盗んではいけない事だとは本当に分かっていなかったし、壮絶な環境で育ったけど今思えばその環境に逆に感謝している」と語っていました。




HIPHOPを始まるきっかけ

捕まる前の中2の頃兄のMASAが太っている友達の事を「こいつミートほんでもってニート、こんな感じよ」と韻の踏み方を教えてくれます。その時は「んー、、、ダジャレってぽいなぁ、、、」と言う感じだったそうですが、その兄が捕まってT-Pablow と3人で手紙でリリックのやりとりを初めます。そして少年院の先生がくれたノートにひたすらリリックを書いて兄弟と手紙のやり取りで「そのラインいいね、外出たらラップしような」と約束。そして退院後、15歳で地元の先輩のイベントで先輩から「突然向こうのギャングはラップも出来んだよ、やってみろ!」と言われステージに上がった事が始まりで、本格的にラップを始めます。そんなある日地元の先輩にZEEBRAの誕生日パーティーに連れて行ってもらい、ZEEBRAと出逢います。YZERRが「写真撮ってください」と言うと「いくつ?ラップやってんの?やってます!!」みたいな会話からフリースタイルをすると、ZEEBRAが飛び跳ねて映画さながら、マネージャーに抱きつきながら「ヤベェ奴やっと出てきたぞ、今すぐ連絡先交換しろ」と才能を見出されます。その時ZEEBRAに「今ラッパーとして飯食えてるやつ何人居ると思う?10人言ってみ?」と言われパッと考えて5人ぐらいしか答えられずにいると、「だろ?10人答えられないだろ、このゲームに参加させちまって悪かったなぁ応援しているよ」と言われます。その後17歳で高校生ラップ選手権の第1回にDIABLOとして出場、そこで兄のT-Pablowが優勝しますが、YZERRは一回戦で敗退。それからZEEBRAが「沖縄にライブ見に来いよ」と直々に誘われ、5000人の前でZEEBRAが「こいつらやべぇからよ」と言ってくれてフリースタイルでラップを披露。その後、第5回高校生ラップ選手権に出場し優勝、パブロは2度の優勝をし双子の存在を一躍全国に広めました。


更に加速する勢い

それからは地元の友人ら8名でBADHOPとして活動しながら、高校生ラップ選手権の大会コミッションを務めるZEEBRAのレーベルから兄と一緒に兄弟ユニットの2winとしてデビュー。それを受けてBADHOPの1stアルバムを発売し、楽曲面でも活動を始めます。1stアルバムBADHOPから始まり、2ndアルバム「Mobb Life」で初の全国ツアーを開催。2018年にはZepp東京でワンマンライブ、そして同年11月には日本武道館にてワンマンライブを開催。ちなみにチケットは数時間で完売。クレイジージャーニーなどテレビの出演オファーもかかり、2019年にはそうそうたる海外プロデュースと楽曲を制作。コロナウイルスが流行る中でも勢いは止まらず、横浜アリーナで無観客ライブを開催、1億円の負債を負いますがクラウドファンディングで支援を募りました。去年2021年に波物語に出演しますが、このイベントが感染対策が不十分と批判をうけ、横浜アリーナでのワンマンライブは延期を発表。レコード会社にも大手事務所にも属さず、全て自前で音楽ビジネスを展開するYZERRは、「音楽を売ろうと思っていない、音楽を通して知名度が上がれば、それに付随する商売がお金に変わる」そのビジネスセンスこそが今のBADHOPが存在している1つの理由とも言えます。今ではラップスタア誕生の審査員をしていたり、地元川崎に無料のスタジオを設立している彼はこう語っていた、「HIPHOPは音楽ジャンルではなくカルチャー、僕らはこれを絶やさないためにやり方の基盤を整えて行かないといけないと思っている、HIPHOPで食べていけるように若い子達に教えて行かないといけない」現在ではトラップの本場アトランタに滞在し、2chainzを手掛けたプロデューサーとスタジオに入ったり、ライブをしたりしているYZERRのこれからの楽曲に期待が膨らみます。




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