OZworldのプロフィール【HIPHOP】【ラッパー】【R’kuma】

HIPHOP

独特な感性を持ち中毒性のあるフローのラップをするOZworld。今回は、彼について簡単にまとめてみました。


OZworldの生い立ち

1997年 沖縄県嘉手納町で生まれました。
兄弟はおらず一人っ子として生まれた彼ですが、すぐ両親が離婚して母親に引き取られて育ちます。ちなみに母親は、那覇の市議会議員
地元の嘉手納町はとにかくヤンキーが多く、ストリートカルチャーが発展した町ではなかったようですが、彼の学生時代はかなり目立つ存在で彼女がころころ変わるようなモテモテな学生時代だったそうです。音楽に対しても中学3年生までは、流行っている音楽を回りと同じように聞く程度で特別意識はしていませんでした。


HIPHOPを始めるきっかけ

そんな彼が音楽に足を踏み入れるきっかけになったのは、彼がまだ入学して間もない高校1年生の頃、同級生の男の子がストリートカルチャーに精通していて、その文化に惚れたOZworldは「かっけぇ。」と感じ、徐々に魅了されていきます。まずはストリートファッションを好むようになり、BMXも始めそれがきっかけで周りに仲間もできるようになります。その中にラッパーである先輩にエルラインと言うクラブに連れて行ってもらいながらHIPHOPに出会います。そんな先輩に「ラップやってみたら?」と言われ、高校生ラップ選手権の動画を見せてもらいます、その時は「こんなの出来ないです、絶対。」と断るも「これはフリースタイルだけど歌詞を書くやり方もあるよ」と言われ、その日からリリックを書き始め右も左も分からないままラップを始めます。のちにB-$oonと言うクルーを結成し、ラップをする仲間を集め「俺はラップするから」とBMXを辞め、HIPHOP一直線になります。同年夏休みにクラブに先輩と言った際、LIVEバトルの大会があり同級生のラッパーが優勝します。それが刺激になり次の週に曲も出来ていないのにも関わらず必死にリリックを書きイベントに出演、お客さんも数人しかいないが高校1年生で初めてのステージに立ちラッパーとしてのキャリアをスタート、それからそこで毎週LIVEをするようになり、他のイベントに呼ばれ徐々に知られていくようになりラップをはじめて1年、高校2年生の時YouTubでRude-aと出した「CoCo ga okinawa」をアップ、もともとフリースタイルから作られたこの曲はたちまち話題になりその名を広めます。


さらに高校3年生の頃には、東京で先輩に遊びに連れて行ってくださいとお願いし、連れて行ってもらったのがMCバトルのイベント、見ているうちにMCバトルをしてみたいと思うようになり、MCバトルに出演して初心者にも関らず2人の対戦相手を倒し、その動画がYouTubに上がったことことから、さらに知名度を上げます。


逮捕

そんな絶好調の中在学中にタトゥーを入れたりしていてヤンチャだった彼は、卒業を控えた高校3年生の時大麻所持で逮捕され、高校を退学処分になってしまいます。当時沖縄県では8年ぶりとなる現役高校生の大麻所持での逮捕、のちに通信制の高校を卒業していますが、その時は家族に迷惑をかけたとラップどころではないなどと心が落ちてしまいます、しかし反省しながらもなかなか経験出来ることでは無いと考え、鑑別所で過ごす時間を読書にあてたり出来る事をやることで、有意義な時間にして行きます。のちに逮捕された事が大きなきっかけになったと語っていた彼は、以前とは違う考え方ができるように。そして鑑別を出て第9回高校生ラップ選手権の予選に最後のチャンスと思い受けたら合格、いろんな問題を振り切り音楽に本気になった彼は当時R’kumaとして本戦に出場し、1回戦で敗退したものの卓越したラップスキルで結果以上のインパクトを見せつけて一躍全国区になります。余談ですがこの時戦った烈固に「ぶっちぎってやろうかその鼻ピアス」と言うラインでこの大会以降鼻ピアスがトレードマークになったとか。


さらに彼の人気に火を付ける出来事

しかしその後、名前が売れた事でいろんなしがらみが生まれ沖縄でのLIVEが出来なくなり、孤独な日々を送る事になったそうです。そんな時にも「自分にはラップしかないし、やり続けるしかない」と自分に言い聞かせ、またも第10回高校生ラップ選手権のファン投票で歴代の優勝者などそうそうたるメンバーが選ばれる中、見事R’kumaが選ばれ武道館のステージに立ちます。その4日後にはフリースタイルダンジョンの収録日で、選手権のノリで出演、どちらも2回戦まで勝ち進みテレビで放送されたり、Abema TVの人気ラッパーと凄腕プロデューサーがタッグを組み楽曲を作り上げる「SMASH HIT」と言う番組でYZERRとのタッグで優勝したりして、その実力を証明しさらにその名前を知られるようになります。その間あまり楽曲を出していなかったが、テレビやメディアに置かれ人気が出ていた彼にメジャーレーベルからも声が掛かるが、メジャーデビューした先輩の話を聞いて自分に合わないとそれを全て断ったのです。その後は私生活そして音楽面でのバトルラッパーと言うイメージを変えるため、アーティストとして捉えてもらうため何か新しく変わりたい言う気持ちが生まれます。そして、庭で本を読んだり瞑想する中でOZworldと言う名前が降りてきた事をきっかけに、名前を「OZworld a.k.a R’kuma」に改名、そして2018年念願の1stアルバム「OZworld」をリリース、客演には地元沖縄の盟友でもある唾奇やYo-SeaそしてJP THE WAVYなどのアーティストが参加、HIPHOPの枠に囚われないその独特な世界観に一躍話題沸騰となり、一アーティストとして確固たる地位を築きます。人気HIPHOP番組「インサイドアウト」からAlbum of the year2019に選出されたり、AK-69や同郷のAwich、DJ RYOWなどの一流アーティストからの客演オファーも絶えない中翌年2020年、自主レーベル兼マネジメント会社「アイムハッピーエンターテイメント」を立ち上げ、アルバム「OZKNEEZ FXXED UP」をリリース。


今回の作品にはAwichやCHICO CARLITOとの沖縄メンバーの中、重盛さとみなど豪華なアーティストが参加。重盛さとみと知り合ったきっかけはSNS、彼女のファンがOZworldにDMで「重盛さんのストーリーにOZ君の曲が流れてますよ!」と教えてもらい、見てみたら「NINOKUNI」が流れており、OZworldから連絡その頃たまたまTokyo Driftを公開するタイミングで、「これ今日公開するので、良かったら見てください」と連絡がきて、見てみたら食らってしまったそうです、ちなみに「TOKYO DRIFT feat 重盛さとみ」は抜群のセンスと中毒性に現在2823万回再生されている大ヒット。それから「タイミングがあったら一緒に曲作ろう!」とトントン拍子に進んで行き今回の作品に参加したようです。彼は日本に留まらず、海外アーティストとのコラボも実現したり独自のワールドにこれからも目が離せません。


これからの活動について

彼は、今はやりたい事がいっぱいあって音楽とは全く別の企画も考えている、今はしばらくLIVEはやらないけど物質的ではないやり方で面白い事をする方法を考えている。みんなが会いたいと思うタイミングでバーンっとLIVEが出来たらいいなと、語っていました。

そして2022年になってすぐの1月18日にこのようなツイートがありました!!


近々アルバムを出すそうです!!このツイートから見てもなかなかの自信作のようですね!!配信が待ち遠しい!!


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